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2007年5月

2007/05/19

シェンプルン宮殿


5/19(土)現地時間、7日目 
ウイーンのシェンプルン宮殿です。さすが640年続いたパプスブルグ家の宮殿です。
18世紀にマリアテレジアの命によって改装し現在の姿になっています。夏の離宮として完成させました。
マリア・テレジア・イエローの外観とロココ様式の内装。内部は荘厳な贅をつくしたものでした。
各部屋に大きな肖像画が沢山ありました、ヨーロッパの国王は大きな肖像画を残すのがお好きなようです。

ボヘミアンクリスタルのシャンデリア、豪華な金箔を貼った漆喰装飾等見事なものばかりでした。

マリアテレジアはなんと16人もの子供を儲け、最後の子マリー・アントワネットは15歳でフランスに嫁ぐまで、この城で過ごしました。

1809年ナポレオンがウイーンを占領しウイーン会議(ただ踊るのみで、会議が一向に進まなかった)をした舞台になったところで有名です。
内部は一切撮影禁止で、外からの撮影だけです。

2007/05/18

メルク修道院からの風景


メルク修道院からの町並み

メルク修道院内部は撮影禁止だが、屋上からの撮影は許可されているので、眼下の町並みを撮った、

すばらしいものだ!! 
ゆう子感動!!

メルク修道院


5/18(金)PM 現地時間 6日目
ハルシュタットから専用バスにて3時間メルク寺院へ行く、
恂爛豪華な礼拝堂と図書を持つ世界遺産のメルク修道院の内部を見学する。
東西320mの規模を持つオ−ストリア屈指のバロック建築。65mの尖塔を持つ中央の教会を取り囲んで、57mの断崖の上に建つ。ヨーロッパのバロック建築の中でも代表的な建物。皇室の霊場としてハプスブルグ家が巨財を投じた。
初期の修道院は神を祭ると同時に、バイエルンから進入してくる敵を監視するための建物でもあった。
  
外観は宮殿を思わせるようなすごい豪華な建物で、庭園も奇麗に手入れがしてあった。

図書館はすごく古いラテン語の本がいっぱい棚の中に厳かに置いてあった。これを維持するの大変だろうと思われる。

これだけの建造物!!キリスト教徒ベネディクト派の国の修道院は絶大な権力を持っていたようだ。

2007/05/17

zarutu burugu

from zarutuburugu


ザルツブルグのインタネット店から発信しました。(この日本語は日本に帰って補足)

オーストリアのパソコンのキーボードの配列が日本のとは違っていました。
JIS規格で世界共通なのかと思っていましたが!!

ザルツブルグからの祐子のホームページ


<5/17(木)現地時間 5日目
午後自由行動時間になり、お城や町を見学し、
ホテルに帰る途中、インターネットの店があり、
寄って自分のホームページを出して見る事にして、URLを入れて出した。
なんと外国からでも私のHPが見えた、
そこでBBS(掲示板)とブログに書き込んで見た。

写真はザルツブルグからの祐子のホームページです。
pc  
/青>

ザルツブルグ


5/17(木)AM 現地時間 5日目
若いガイドのお兄さんに案内されて、ザルツブルグの市内観光、
サウンド・オブ・ミュージックに登場したミラベル宮殿や
モーツアルトの生家(内部を見る)、大聖堂(外から)旧市内の町を観光する。
モーツアルトの生家は写真撮影禁止、中はアパートのような感じだった、古いオルガンがデンと部屋の真ん中に置いてあった。
このモーツアルトは家賃が払えなくて、生涯(35歳)までに転々と住まいを変えたとの事で、
あちこちの町にモーツアルトの住んだ家がありました。
引越し魔だったようです。
ザルツブルグの町はドイツ国境に近い大都市。ザルツブルクは人口約20万人、州都でもある、中世が息づくとても奇麗な町でした。
ヨーロッパは本当にどこに行っても大理石とレンガの町で、石文化だ!!
遺産を残すのには腐食しないからいいけど、建替えたり町を広げたり新しきは困難な事だと思った。
だから昔ながらのまま残されているのでしょ!!

ザルツブルクで音楽祭が行われている。

2007/05/16

ルートビッヒ2世


バイエルン王ルートビッヒ�世(1845-1886)は
“真の古きドイツの騎士の城”として、絵画のような風景の岩壁にノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)を造らせた。

壁画画家にワーグナーの「タンホイザー」「ホーエングリーン」の舞台の一部を描かせたり、鍾乳洞を作り、白鳥を浮べて楽しんだりした。
「王座の間」はミュンヘンのホーフ教会を模造し、ルートビッヒの王位を象徴している。
15歳の時、ワーグナーと出会い、彼の音楽に陶酔するようになり、パトロンになりを支援した。
1866年、拡大を続けるプロイセンに敗戦すると、
バイエルンはプロイセンの叔父の“家臣”扱いとされ、
政治等に嫌気がし、人嫌いにもなり、城作りに没頭した。

幼少時にホーエンシュヴァンガウ城に住み、父が再建させたホーエンシュヴァンガウ城の近くに新しい城の建設を命じ、1886年、ノイシュヴァンシュタイン城を完成させた。

1879年にヴェルサイユ宮殿のトリアノン宮殿を真似たリンダーホフ城を、ヘレンキーム湖にはヴェルサイユ宮殿を真似たヘレンキーム城を造り、
国家予算はおよそ1400万マルクの負債を抱えることに。

1886年、精神障害者扱いを受け(実弟が精神障害)、王の叔父、ルイポルトによって統治を引き継がれ、ルートビッヒ�はベルク城に幽閉され、
6月13日、ミュンヘン郊外のシュタンベルク湖にて
ルートビッヒ�の遺体が見つかる。
(他殺とも自殺とも云われ、謎の死である)

王の死の7週間後、同年8月には、ルートビッヒの建てたノイシュヴァンシュタイン、リンダーホフ、ヘレンキーム城は一般に開放される。



インスブルック


5/16(水)現地時間 4日目
専用バスにてオーストリアはインスブルックに入る、
この地方はチロル地方とあって、5月だけど山々には雪があり、緑の草原に所々木があり、まさしくハイジの世界です。
この地方がハイジのモデルになったそうで、スイスではないそうです、アニメを作る際にスイスに設定したから、スイスがハイジで有名になったそうです。

到着した所はインスブルッグ、冬季のオリンピックを2回も開催したところで、山にはジャンプ台も見えました。
小さな町ですが、パプスブルグの王宮があり、
現地のおじさんガイドのユーモアあふれる王宮の説明(マリア・テレージアの旦那さん(フランツ1世)はすごい精力絶倫でマリア・テレージアに16人子供をつくり、他にも子供がいたとか?)またフランツには政治的実権はなかったそうで、財政や科学の振興などの面で功績を残している。と聞きました。

すばらしい肖像画の絵画や調度品がありました。
ここも内部はフラッシュ撮影禁止でした。

チロルの田舎町にこれほど大きな王宮があるというのはどこか不自然に思い調べて見たら、
1490年フリードリヒ3世の息子のマクシミリアンが紆余曲折あり、インスブルックに移り、ここを神聖ローマ帝国の首都としましたからでした。

黄金の屋根もあり、小さな町にしては観光客は多いし、
中世の歴史的な町並みでした。中欧に来たー!という感じでした。
しかし残念なことに町中に電線が張り巡らし、写真を撮ったら電線だらけだった。せっかくの歴史遺産も半減です。

最後にはクリスタルのお店に案内されました。

ノイシュバンシュタイン城


5/16(水)現地時間、4日目 
ロマンチック街道の旅行に行って来ました。
スケールの大きなメルヘンチックなお城等に堪能してきました。
ロマンチック街道は新聞広告等で充分知っていたが、思っていた以上に素晴らしいものでした。

やはりヨーロッパの町やお城は凄いものがありました。
特に私の行きたかった、ドイツのバイエルン地方の国王ルートビッヒ�世が建てたノイシュバインスタイン城は神秘的でメルヘンチックで夢のようなお城で、
普通我々が考えるような自分の領土を守る為に作られた様な体制のお城では無く、若くして国王になり、老練な政治家に利用され、政治からは逃避し、お城作りに没頭しただけに、メルヘンチックな価値のあるお城でした。
城もまだ未完成で、国王も100日程度しか住んでいないお城で、重臣から幽閉され、湖で謎の死を迎えた王様でした。

ディズニーランドの夢のお城のモデルになった意味も充分に分かりました。

でも日のいずる国(日本)からヨーロッパへ12時間もの飛行機での旅行は私にとっては大変なものでした。airplane

ハルシュタット


5/18(金)PM 現地時間 6日目
ザルツブルグから車窓のザルマンカート観光をし、岩塩の町湖水地方の代表的な世界遺産の町ハルシュタットを散策する。
パプスブルグ家はこの岩塩のおかげで莫大な財を成してきたすごく風光明媚な町でした。
この写真の後の山は採掘場です。

ここでミネラルたっぷりの岩塩を買いました。
色々な色の岩塩があり、見るのも楽しい感じでした。
その岩塩をなめて見たけどやはり塩だからカラカッタ!
しかし帰って料理に使うと意外とまろやかな辛さでした。

ここでゆっくりと逗留したいようないい景色です。