伊丹在住の方が、依然問い合せていたのを気にかけて頂き、臂岡天満宮の玉垣に谷江長の名前がありました。と教えて頂きました。石碑
臂岡天満宮
それが縁で、当方の調べたデータを送りましたが、伊丹の祖父谷江長の自宅跡地が元は白洲家の物だという事が解かったようです。
白洲次郎(吉田茂の側近として活躍し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を向こうに回して戦い、「従順ならざる唯一の日本人」と言わせしめた人物、
2009年NHKでドラマになり放送されました。
夫人は、随筆家の白洲正子)です、父の白洲文平が綿花事業で巨万の富を築き、家を建てることが道楽で、アチコチに家を建て、最後に建てた豪邸が白洲屋敷(4万坪)と呼ばれてた処を、白洲商店が破産後、主には大阪栄養工業(日本水産)を創始した八崎治三郎さんの所有となった。
が一部(1200坪)は谷江長が購入し、伊丹の自宅屋敷になった事が判明しました。
谷江長も昭和26年まで住んでいて、その後は伊丹観光ホテルに売却し、現在は26件の小さな家が並んでいました。
敷地1200坪、建坪300坪、向側の北中の1/4で、大きい豪邸だねと思っていましたが、白洲家は桁外れの4万坪ですから、想像もつかない程の屋敷ですね、
今は白洲家があった処へH22年に看板が建ててあるそうです。

参考サイト ① 伊丹再発見
② 白洲家屋敷からの歴史
③ 伊丹歴史散歩1 伊丹歴史散歩2 伊丹歴史散歩3
PDF画像ですからAdobe redaerをダウンロード してご覧下さい。
見えにくいので伊丹歴史散歩3の一部を抜粋します。クリックしたら大きくなり読みやすくなります。
祖父谷江長の伊丹製絨所跡地と自宅跡を[GoogleMAP]で作って表示しました。ピンクが自宅跡地でオレンジが伊丹製絨所跡地です。
伊丹製絨所跡地は現在ショッピングモール、イオンモール伊丹になっています。
より大きな地図で 谷江長の伊丹屋敷&伊丹製絨所 を表示
クリックして、地図スケールを大きくしてご覧下さい。GoogleMAP
谷江家ゆかりの子孫の方達へお知らせです、
「伊丹製絨所十年誌」は伊丹市博物館にあるそうですが、 「伊丹製絨所十年誌」がネットで見つかりましたよ、祖父の会社内容です。伊丹製絨所は18年間創業で、S16年で東洋紡へ合併しました。
「伊丹製絨所十年誌」です。