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2014/10/08

墓参り

9月27日、高校の同窓会の時、着いてすぐ午前中に比治山に登り、母の墓参りしました。

私の実家の墓は広島の真ん中の比治山の墓園にあります。

しかも3か所に別れて別々の場所に、母が生存の時何故、こんなに3か所に別れているのかと聞いた事がありますが、一か所は養子元なので分からぬ事ないのですが、

元々のご先祖のお墓の場と、あとは祖父(房乃助)が、戦前広島にあった陸軍広島連隊にお米を納入する米穀商で裕福だった人なので、自分の入るお墓を生前(昭和14年)に作り、先祖地は狭いので別場所に置いたみたいで、3か所になっています。

最後の墓には曽祖父母や祖父母、両親と3代が今納棺されてます。

我が家は元々浅野藩の芸州藩士だったので、お墓石の天辺が尖っています。もちろん比治山神社神道の氏子だったので、法要等は比治山神社で神主の元で、おこなっています、

以前は親の神官でしたが、今は頼りなさそうな背の低い息子さんの代になっています。

神官なのだから、祝詞(ノリト)をあげるときはもっとロウロウとしていればいいものをと感じています。

主人の方のお寺(浄土真宗)の坊さんは、若いのにロウロウと、お能の声の如く良い声でお経を上げられます。なんか有難味が感じられます、拝み方次第なのね、

 ①ご先祖12代までの墓(初代は寛文6年、徳川家綱の時代、西暦1666年で八百屋お七の時代)です。

Haka11

Haka12

②養子元家(何代か前、中川家から宮川家に養子にいく、この中川家が明治時代に子が無くて絶えたので、宮川家が墓を建てて祭ってあげています。)

Haka2

Haka3 誰がしたのか、大きな大木があったが伐採されていた。

この中川家は浅野藩の家臣で、取り寄せた芸藩輯要記録に記載が有ります、

この人物は武人ではなく、式部公子附とあるから藩の催し事を仕切る係りの様です。

浅野藩は、元々関ヶ原の合戦後、紀州から芸州(福島正則の領地)に藩替えになった藩なので、家臣は [旧]紀州からの同伴した藩士、 [芸]芸州藩福島正則残党藩士、 [三]分家三次藩出身、と3つに分かれていました。

Photo ③我が曽祖父母、祖父母、父母、等3代が納棺で2m以上もある大きな墓、

昭和20年8月6日に祖母センが原爆死とあります、遺骨が見つからず、着ていた着物の袖が入れてあります、祖父は原爆症で髪が全て抜け落ちたそうで、その後死んでます。私も祖父母は写真でしか知りません、姉は当時7歳なので知っていますが、

Haka_3

Haka3_3 紋章は

Haka4建立は

Haka1祖父房乃助は、比治山神社の石の鳥居(この写真に見れる)を寄贈しています。

S

 

2014/07/11

谷江長の告別の辞

大正7年に谷江長が日本毛織の常務取締役になった時、工場の従業員に対しての「告別の辞」が日本毛織百年史に残っていたものを、せっかくのモノだから一族末裔の方への顕彰の意味を込めて出してみる事にしました。

谷江長 「告別の辞」

 

 

2014/06/07

祖父谷江長、伊丹市&東灘区

我が谷江一族、親族末裔の方々にお知らせ・・・

何故かと云うと先般、谷江長の伊丹製絨(株)と伊丹の自宅を紹介したけど、それ以前には何処に住んで居たのかを謄本で調べた経緯で、そこは現在何処にあるのか?興味と知りたがりの顕彰をもって閉鎖登記を調べてみました。

最初は、この地の昔の住居表示なので現在は何処なのか?又、土地登記簿は地番が解からなくては取れないし、そこは現在のインターネットの世界、その土地の管轄法務局を調べ、問合せを行いましたが、この地も広い土地なので現在は住宅地なので細かく分割されていて、昔の住居表示では解かりかねるとの事で、

それなら一つの地番からたぐり寄せようと、その地番で申請書を請求しました。

やはり、管轄法務局からこの地番でこの方のモノは見当たりませんとあった。

係りの方に顕彰をしているから、その地番でのこの名前で捜して下さいと頼みました、地番で管理されているので、名前では捜せないそうです、初めて知りました。係り官は親切な方だったので、時間をかけて調べて頂き、ありましたと送られてきました。

それに由ると、なんとなんと!!土地面積1,229.08坪で、昭和7年から昭和19年まで所有していました。その後、この地も広いので、個人では買えないので神戸の大手の会社2社を経由編製し、昭和27年に神戸の養老院、現在の神戸老人ホーム住吉苑になっていました。

その地の表示は右記から見れます。


より大きな地図で 東灘自宅 を表示

 東灘区住吉町の谷江長自宅跡地Map

その登記簿です、登記簿.png

それにしても、谷江長はホントに資産家ですね、house伊丹屋敷1,200坪(昭和11年~昭和27年迄)、東灘区住吉町に1,229坪(昭和7年~昭和19年迄)所有ですから、

今で云えば換算(昭和7年時に1円は現在に換算¥5000円)としても土地代だけでも凄い金額です。

孫の方にもほんの少しでも分けてくれていたらと・・・(-"-)、

こんな田舎の狭いマンション住まいでなく、と羨ましくもあり、妬んでいる今日この頃です。

おまけに、戦闘機2機airplane、海軍と陸軍に寄贈ですから、桁外れの世界です。

先祖を顕彰していたら、色んな事が見えてきました。

それにしても凄いスゴイ!!eye

Photo_3

2014/04/30

岡倉天心展福井

福井美術館で「空前絶後の岡倉天心」が11/1~12/1迄、福井県立美術館であった。その時、岡倉家と谷江家の関係で問合せが有り、谷江家のdataを福井県立美術館に提供し、ご先祖を調べて頂きました。

パンフレットと岡倉天心図画

Photo_7Photo_8 
岡倉天心図画をこのイベントに、見に行かれた親戚子孫の方が買って送って頂きました。 もうこれほどの日本画は最後ではと思われる位多量に収録していた立派な図画で。表紙は菱田春草が描いた「落葉」です。

その中に我が谷江家と岡倉家の家系図が表示されています。

右は「新番格武士記録」(福井藩下級藩士記録書です)

Photo_9Photo_10 
下村観山が描いた岡倉天心像です。いつも傍にいたから癖等がよく熟知していたから描いたとの事、 天心が牛の画を描いたのは見た事あるけど、自分でも絵を描いたのですね、初めて見ました(山水の図)

彼は漢詩も書くし、英文での本を出すなど日本画に尽くした思想家で、ボストン美術館の日本美術部長をした美術評論家です。

Photo_112s

 

 

2007/02/16

我が祖父


我が祖父が(谷江長)が6歳の時坪田家から叔父の谷江家に、
養子に入った記念に母親(坪田百)と記念写真に撮った写真。
明治14年に撮られたものだ、
明治14年のこの時代に記念写真が撮れるのだから、
織物業をして小金を持っていたみたいだ。
坪田百は岡倉天心の姉にあたる。
だから谷江長と岡倉天心は叔父、甥にあたる。

2007/02/15

天心書簡


岡倉天心が生前に わが曽祖父の坪田均に送った書簡に、
わが祖父(谷江長)も記載されていると、
北茨城の天心研究家の方から手紙で
「天心書簡」下村英時に掲載されていると教えて頂いた。
すぐに図書館で「天心書簡」の本を捜した、
特殊な本なので中々無く、県の図書館にあったので、
借りて読んだ。


※岡倉天心が生前にわが曽祖父の坪田均に送った書簡、わが祖父(谷江長)も記載されている。




※家系図

2006/04/23

愛国号献納機調査報告


先日我が祖父(谷江長)が戦前に献納した「愛国谷江号」 airplane の掲載をしたと
「愛国号献納機調査報告」のYさんよりメールがあった。
名前が間違って谷屋になっていた。珍しい名前なのでみんなが間違う!訂正メールを出しておいた。

飛行機 airplane に興味ある方は是非見て下さい。


「愛国号献納機調査報告」のURLは
<リンク先 http://www.ne.jp/asahi/aikokuki/aikokuki-top/Aikokuki_1000-1999.html>

のサイトで中ほどに1210号谷江号(谷江長)です。
絵葉書2枚も献納証明書もあります。


2006/04/21

愛国献納機調査報告

偶然にホームページを検索していたら面白いものを見つけた。なんと祖父(谷江長)が戦時中に献納した戦闘機を調べている人がいてホームページを立ち上げている。
早速我が祖父の飛行機を捜したが無かったのでメールで写真3枚と献納の証明書を送った。
来週ホームページに乗るらしい、

愛国号献納機調査報告のホームページ http://www.ne.jp/asahi/aikokuki/aikokuki-top/Aikokuki_Top.html>

※愛国1210号(谷江)

※報国706(谷江号)

※愛国1210号(谷江)

2006/04/09

五浦海岸


club せっかく東京に行ったのだから、主人のお祖父さんの伯父にあたる明治時代に日本美術を世界に紹介し広め近代日本美術の発展に大きな功績を残した偉人(岡倉天心)の六角堂のある茨城の五浦海岸へ行ってきた。
岡倉天心が愛しただけはあるとても風光明媚な海岸だった。
此処に別荘を造ったら凄くいいだろうなと思われる景色の良いところであった。
海岸がこれほど綺麗なのは見たこと無いくらい綺麗であったでも冬は太平洋の波が怖いくらいであろうと思う、夏は海水浴でとてもにぎわうとの事だから、夏の別荘に最適だ。




※岡倉天心が建てた五浦海岸の六角堂